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… 2001年5月13日 …
原猛・埴原和郎 著 「アイヌは原日本人か」
小学館創造選書 1982年10月刊
本書は梅原猛と埴原和郎(はにはらかずろう、自然人類学の研究者)との対談をまとめたものである。梅原猛は「日本語とアイヌ語、あるいは日本文化とアイヌ文化は、深い関係を持った言語、文化ではないかという疑問をもっていたが、通説では日本人とアイヌはまったく別な人種で」あるとされていて、自説の根底を疑われた。しかし、埴原氏が通説とは別の考え方に立っていることを知り、日本人の成立について「とっくり埴原氏の説を聞いてみたいと思って」おこなったのが、この対談である。
@人類への進化
6500万年前に北米大陸で猿が生まれ、森林を求めてヨーロッパや南米に移動し、旧大陸で類人猿に進化する(3000〜2000万年前)。大型化してオランウータンやチンパンジーの祖先(=ドリオピテクス・・・数百万年前まで生存)が生まれ、その中から分化して人類の祖先が現れたという。
アウストラロピテクス(猿人 400万年前)とドリオピテクスをつなぐものとしてラマピテクス(1500〜600万年前)が発見された。
イ.北京原人、ジャワ猿人等、原人の生息年代・・・・100万年前〜30万年前
ロ.ネアンデルタール人、旧人の生息年代・・・・・・・・・
20万年前〜3or4万年前
ハ.クロマニヨン人、新人 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3.5万年前〜 現代まで
現代の人類の基礎は、だいたいこのクロマニヨン人の時代に固まったのではないかと思われる。今後の日本人論の課題はこういう1万〜3万年ぐらい前のアジアの古い人たちの研究をしないと最終的なことはわからない。
猿から人類への変化をホミニゼイションHominizationというが、端的に言えば、二足直立歩行と脳が大きくなることで表される。
直立歩行をすることによって手が使えるようになり、背骨が真下から脳を支えるようになる。脳のバランスがよくなることによって脳が大きくなる可能性が生まれた。実際、化石でみると脳が大きくなるのは人類進化のかなり新しい時期である。
進化には「大進化」と「小進化」とがあり、分類学でいう種を越えて進化することを「大進化」という。例えば、ホモ・エレクトス(原人)からホモ・サピエンス
(旧人・新人等)への進化は「大進化」にあたる。
人種が変化してくるというのは「小進化」の問題(例えば背丈や顔つき・・・)で、最近では顎の骨が小さくなってきていて歯と顎の骨の間に不調和が起きている、という。
Aモンゴロイドの特徴と区分
世界の人種の系統を大まかに分けて、コーカソイド(白色人種系統)、モンゴロイド(黄色人種系統)、ニグロイド(黒色人種系統)、オーストラロイド(オーストラリア原住民、メラネシア人等)の4つになる。
モンゴロイドには、
(1)アメリカ・インディアン、エスキモー、シベリアの寒冷地民族
(2)中国、朝鮮、日本を含む群
(3)中国奥地にいる蒙古人、チベット人の系統
(4)中国南部から東南アジアにかけて住む南方モンゴロイド
の4系統がある。
モンゴロイドの特徴・・・皮膚の色がコーカソイドとニグロイドの中間で黄色い。
メラニン色素の量が中等度であるということ。髪の色と体毛が黒い。髪の毛は直毛。
モンゴロイドの区分・・・北方と南方に区分される。南方系のモンゴロイドはモンゴロイド としての古い形態を残しているが、北方系のモンゴロイドは厳しい寒気にさらされ て小進化を起こしている。これを「寒冷地適応」という。最後の氷河期であるウル ム氷期の寒かった時期(2万年前〜1万年前頃)に、寒い地域から逃れることが出 来なかった人々に起こった変化である。
寒冷地適応・・・短足胴長、扁平な顔、厚い瞼、細い眼裂、少ない体毛・・・。
新モンゴロイド ・・・日本を別として、蒙古からシベリヤ、アラスカ、カナダの北方、グ リーンランドに分布。
B人種と民族
人種とは「遺伝子をもとにして人間をグルーピングしたもの」であり、民族とは違う。逆に言えば、民族とは人間を「文化の違いによって分けていくグルーピングの方法」i.e.「遺伝子とは関係のないグルーピングの方法」であって、言葉で分ける民族もあれば、伝統、習慣、宗教で分ける民族もある。
日本人は民族であって人種とはいえない。人種的あるいは遺伝学的にいうと日本人と朝鮮人、あるいは中国人などはほとんど同じであるという。日本人は「固有の日本語を使い、日本文化の中で長い間育成されてきた集団」であり、民族とはいえる。
日本人論研究のためには、「少なくとも東アジアにおける広い地域の人たちのことを考慮に入れていかないと、そもそも日本人論というものは成り立たない」という認識が、まず第一に必要であるという。
C日本人の2つの背景−古モンゴロイドと新モンゴロイド
人々が日本に入ってくるルート
(1)シベリヤから樺太、北海道を経由するルート
(2)朝鮮半島からのルート(北方から、または中国から)
(3)海面降下期の黄海は陸が広がっていたので黄海伝いに中国大陸から
気候と地形の変化で人々は移動する。
2万年〜1万年前のもっとも寒い頃・・・海面が下がり日本列島は大陸と地続きになる。
7千年前頃、少し暖かくなって(「縄文海進」)・・・海が盛り上がり列島は孤立。
3千5百年前頃、やや寒冷になり、世界的な民族移動あったらしい。
縄文時代人は、顔の凹凸にとみ、人骨はわりに華奢であることから古モンゴロイド、南方的要素をもっている。
日本人というものは古モンゴロイド的なものが基礎にあって、そこへ新モンゴロイド的なものが幾重にも重なって形成されたと考えられる。
日本人論の紹介すべきものとして、長谷部言人、鈴木尚、金関丈夫の説がある。
長谷部言人−鈴木尚説・・・「連続説」(縄文時代時代人が現代日本人の祖先であり、その 後大規模な混血あるいは人種交代がなくて、そのまま変わってきたとする。)この説 は関東地方についてはほぼ正しいとされるが、日本全国をカヴァーしているわけでは ない。
金関丈夫説・・・「連続説」は西日本には当てはまらない。弥生時代に朝鮮系の人々が入っ てきて一部混血があった。(もちろん、南九州では弥生時代の人骨でも地域によって 縄文時代人的である。)
D旧石器から弥生までの日本人
洪積世時代人・・・ 牛川人(豊橋市)、三ヶ日人(静岡県)、浜北人(静岡県)
港川人(沖縄本島)・・・1万6千〜1万8千年前のもの
縄文時代人・・・ 数千の個体数を数えるが、中期以降が多い。西と東で地域差がある。
縄文遺跡の出土状況から見ても、日本では東北中心の大きな文化が花ひらいていたというふうに考えざるを得ない。弥生時代になってから、東北は辺境になったけれども、かつては日本の文化の中心地だった。
(古モンゴロイドの特徴を備えている。)
弥生時代人・・人骨の個体数は少ないが、西日本を中心に新モンゴロイドの影響が著しい。
以上述べたことからわかるとおり、古モンゴロイド的特徴の多い原日本人(縄文時代人)の住んでいる日本列島に、新モンゴロイド的特徴を持った北方系の人たちが入りこんできて、北九州から瀬戸内海沿岸、近畿に拡がっていったと考えてよい。
Eアイヌは原日本人である・・・ アイヌは縄文時代人が小進化したもの
アイヌは謎の民族として、その成立についてあらゆる説が出された。昭和20年頃から「アイヌ白人説」が有力になってきた。しかし、埴原はかつて小金井良精(こがねいよしきよ)が縄文時代人とアイヌの骨を比較し、「縄文時代人=アイヌ説」を唱えたことを継承する。昭和41年に埴原は、アイヌ白人説を「証拠が乏しくて認めがたい」と主張し、その後の多面的な調査から、アイヌがモンゴロイドであることを結論づけた(歯、血液型の特徴はモンゴロイド的。白人特有の標識遺伝子の欠如、等・・・)。
時間軸を入れて考えると、アイヌは縄文時代人から小進化してきた人たちだろうということがかなり明確になってくる。
最新の人類学は、コンピューターと遺伝学の発達により、研究法が飛躍している。
(1)形態学的方法
計測と比較を中心にしてきた形態学的方法のデータ分析にコンピューターが導入され、多変量解析が技術的に可能になった。
(2)遺伝学的方法
遺伝学的方法においては、電気泳動法が用いられるようになり、血清蛋白や血球酵素等の遺伝物質の分析とともに、種に特有にみられる「標識遺伝子
marker gene 」の研究も進んでいる。
「頭骨の計測Data分析」
新しい方法で(現存集団と古代遺跡の人骨から)21種類の集団の頭骨計測データをコンピューターで分析したものがあり、その結果について説明が加えられる。
各集団の内訳
○現代日本人 5個所300体(東北地方、千葉県、中部地方、新潟県、近畿地方)
□縄文時代人 3個所(津雲[岡山県]、吉胡[:よしご、愛知県]、大田貝塚)
○現代のアイヌ 3個所(八雲、日高、落部[:おとしべ])
□道内遺跡 2個所(礼文華[道南]、オンコロマナイ[道北])
□弥生時代人 1個所(土井ヶ浜[山口県])
○周辺民族 5個所(朝鮮人、蒙古人、シベリヤのオロチ、エスキモー、ギリヤーク)
□シベリヤの新石器時代人2個所 (イルクーツク、レナ河付近)
< 2次元投影結果 >
| (現代北方民族) ○オロチ ○蒙古人 ○ギリヤーク (弥生人) □土井ヶ浜 ○シベリア・エスキモー |
(新石器時代) (縄文人) (シベリア人) □津雲 □イルクーツク □レナ河上流 □大田 □吉胡 |
| ○近畿 (現代和人) ○朝鮮人 ○中部 ○新潟 ○東北 ○千葉 |
□オンコロマナイ (現代アイヌ) □礼文華 ○八雲 ○日高 ○落部 |
【注】上図は原著133頁の雰囲気だけはと思ってヨコ39字×タテ18行の枠内にcharacterで表示したもので正確ではない。(○・・・現代の集団、□・・・古代遺跡の集団)
右上に縄文時代人がかたまって入る。シベリヤの寒冷地適応を遂げた人たちが左上に入る。左下が現代日本人であるが、近畿の人と朝鮮人が非常に近いことが目立つ。
アイヌは右下であるが、オンコロマナイ人がアイヌであるかどうかは別として、北海道の人たちは縄文時代人からオンコロマナイ人の方向に小進化を遂げ、その延長線上に現代アイヌが位置している。小進化の方向が非常にきれいに出ている。
ところが、現在の和人は縄文時代人からいうとずっと左下へ向かって小進化しているわけで、まっすぐ右下へ進化したアイヌとはかなり違う方向を示している。その差が現在の和人とアイヌの違いとなって現れてきたということがはっきりとわかる。
整理すると、
(1)アイヌは北方に住んでいても「寒冷地適応」を受けていない。
(2)朝鮮半島から渡来した弥生人たちは北方的要素をもっている。
(3)近畿人が朝鮮人に近いということは、近畿地方の人々は弥生人の混血の影響を相当に受けていると想像される。
(4)オンコロマナイと礼文華の違いから、道内でも道北と道南では小進化の速度が違っているようである。
生体計測値の全国統計資料(1910年代、40年代、50年代の3回に分けてとられた)からの分析(東大人類学教室、河内まき子)によれば、
日本人の特徴によって「中心部」と「周辺部」とに分かれる。
日本の中心部(近畿から山陽、九州の一部、四国の一部)はかなり朝鮮系に似ている。 周辺部(東海、関東、東北、北陸、山陰、九州の真ん中あたり)は別の特徴を持つ。 すなわち、国内における地域差がはっきりと出ている。
琉球人を視野に入れて考えると、琉球人がアイヌとよく似ているところから、かつて「琉球=アイヌ同系論」(シーボルト)が唱えられたことがある。しかし、昭和40年代の調査によれば、琉球人はアイヌに近いところがあると同時に、同じくらい本州の日本人ともよく似ている。本州の日本人と、アイヌ、琉球人の三者を並べると、ちょうど正三角形をなすような関係になる。
結論的には、アイヌも琉球人も縄文人の relic(生き残り)であると考えられる。縄文人が、混血を含めた要因により、それぞれに小進化してアイヌ、琉球人、本州の日本人になったのである。
アイヌと和人との差が生じてきた時代について想像すると、本州では弥生から古墳時代にかけて、北海道では続縄文から擦文にかけての時代であろうと思われる。
また、いわゆる「周辺部」の特徴を持った人たちの間には、現代のアイヌに近い人たちがおり、アイヌと周辺部の和人は祖先を共通にするものと考えられる。
縄文土器をみれば、そこには相当レベルの高い文化があったに違いない。その文化はアイヌ文化の中に残っているに違いない。
また、アイヌ語が古代日本語の解明に果たしうる貢献にについては今後の研究にまつことになろう。
Fおわりに −人種的偏見について−
アイヌに対して、明治時代がもっていた「先天的偏見」について問題にされなくてはならない。北海道を開拓するためにはアイヌを追っ払う必要があり、アイヌを異人種だと考える方が便利であった。そこに人種的偏見が生まれる根本的な理由がある。
人種的偏見というものは、権力者によって人為的に作られた意識ではないかと思われる。それは植民地をつくるときに対等であっては搾取が出来ないことによる。現地人は非常に原始的でわれわれとはまったく違うと考えないと植民地経営がうまくできない。そこから現地人に対する架空のイメージが生み出され、人種的偏見が形成されるのである*)。
*長島伸一「大英帝国」 講談社現代新書 1989年2月刊
を参照されたい。まさに「ジャックと豆の木」の雲の上の大男は植民地人に対する寓意をもつのである。
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